「Working with long COVID」を読む
はじめに
── もしも部下がコロナ後遺症になってしまったら
どうやって対応すればよいのだろう。
難しい。なんせ本人も考えあぐねているのだ。
専門家の知恵に頼ろうじゃないかと調べてみても、日本ではそういった問題の検討すらされていない。
一方、海外ではどうか。
なんと専門家が執筆した手引きが存在する。
「Working with long COVID」
CIPDという有名な専門家協会が今年2月に発行したものだ。
www.cipd.co.uk
そもそも、コロナ後遺症とは何か?
コロナ後遺症の事がよくわからないという人もいるかもしれない。
「Working with long COVID」の中でも書かれているが、日本の状況も含めて少しばかり振り返りたい。すでに知っている人は飛ばしてもらって構わない。
新型コロナウイルスに感染すると、急性期の症状とは別に罹患後の症状が起きることがある。他の感染症より発生の割合が高いようで、200 種類以上の症状があるのではないかとも言われている。
どのくらいの人がそうなるのだろうか。
残念なことに国は統計を取っていないが、デルタ株以前の状況を世田谷区が調査している。
それによると、陽性診断日から120日時点でも4割近くの人に後遺症が残るようだ。1年後でも10%未満の人には症状があるらしい。
www.city.setagaya.lg.jp
発症の機序はまだ明らかになっていない。
最新の研究では、複数の候補が挙がっている。一部を抜粋すると、
また、原因は一つだけではなく同時多発的なのではないかとも推測されている。さらに、重い難病であるME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)との関連にも注目が集まっている。
www.nytimes.com
とまあ、大変な病気であるため国内の当事者も大変苦労している。*1 *2
また、あまり知られていないのだが、コロナワクチン接種後に同様の症状で悩んでいる人もたくさんいる。医療政治的な問題から公的な認知を得ることには時間がかかりそうだが、就労においてはコロナ後遺症と同様の対応をとれば良いだろう。症状はコロナ後遺症とほとんど一緒なので、ワクチンだからと差別をする必要はない。*3
anond.hatelabo.jp
コロナ後遺症とイギリス
コロナ後遺症の支援に積極的な国の一つがイギリスだ。
コロナ下初期から「LongCovidSOS」という有名なサポートグループも立ち上がっており、後遺症当事者に対して積極的に支援をしている。困っている人を支援しようという、アドボカシーの文化がある国ほど、そういった動きに積極的であるように思える。
www.longcovidsos.org
そういった流れの中で、イギリスの人事協会であるCIPDが「Working with long COVID」というレポートを公開した。シェフィールド大学とAffinity Health at Workの共著だ。*4
シェフィールド大学はQS社のワールドユニバーシティランキングによると世界66位の名門大学であり、関係者から8人のノーベル賞受賞者を輩出している。
「Working with long COVID」は、当事者から医療従事者・会社人事の専門家まで、さまざまな人たちからエビデンスを集めて執筆している。
特に「当事者」という点が目立つ。
患者自身がさまざまな研究に携わっている点が、海外におけるCOVID-19研究の特徴だ。なんと論文のチェックや査読の依頼もあるらしい。これはまた別の機会にお話しできれば。
それでは、「Working with long COVID」の内容を拝借して説明していきたい。
Working with long COVID
要点
先に結論から提示しよう。
- 出勤日や労働負荷を段階的に増やす
- 柔軟な勤務体制
- 症状に波がある事を自覚して再発を防ぐ
いきなりすべての仕事をこなそうとしない。
病状を見ながら段階的に復帰して、ダメであれば柔軟に元に戻す。
これが重要だ。
イギリスのデータによるコロナ後遺症
特徴
さて、NICE(英国国立医療技術評価機構)によると、コロナ後遺症には以下のような特徴がある。*5
- 5人に1人の割合で、症状が5~12週間続く。
- 10人に1人は12週間以上経過しても症状が出ている。
- 10月時点で、英国内で1001.3万人が症状の自己申告をしている。
- 35-69歳(17-24歳も顕著に増加)、女性、貧困地域の住民、医療・福祉関係者、一部障害者に多いと言われている。
症状
主な症状は次のとおり。個人差があり、複数の症状に悩まされる点に特徴がある。*6
症状 | |
倦怠感 | 消化器障害 |
息切れ | 自己免疫症状 |
ブレインフォグ・集中困難 | 不眠症 |
短期記憶障害 | 心拍数変動 |
発語不明瞭 | 血圧変動 |
胸痛 | 味覚障害 |
筋肉痛・関節痛 | 嗅覚障害 |
頭痛 | 月経の変化/早期閉経 |
咽喉痛 | 肌荒れ |
めまい | うつ |
毛髪の変化及び脱毛 | 不安症 |
- 症状の変動は予測不可能で、途中で新たな症状が出る事もある。
- 再発する事がよくあり、コロナ後遺症 が長びいている人の 85%が、一時的に症状が改善した後に悪化したと報告している。
- 症状は何ヶ月も続く事がある。回復についても同じ。ただし、そういった人の多くは長い時間をかけて回復はしている。
新規疾患であるため、明確な診断基準や治療プロトコルがまだできていない。そのため当事者が考えなければいけない事が多く、仕事以外でも負担が大きくなる傾向が強い。
勤務体系について
Patient-Led Research Collaborativeの調査によると、当事者3,765名の回答者のうち、時短勤務で働いているのが45%。健康状態が原因で働けていない人が22%いるらしい。*7 *8
また、TUC(イギリス労働組合会議)が行った3,557名の調査では、57%が完全に仕事に復帰し、16%が時短勤務で復職しているとの事だ。しかし、数%の人は病休が取れず無給休暇扱いになってしまい、欠勤が続いて懲戒処分を受けた人もいる。*9
こういった事はあってはならない。
また、在宅勤務の効果にも注目したい。
Patient-Led Research Collaborativeの調査だと、45%の人が在宅勤務によって仕事を続ける事ができたと答えている。当事者にとって通勤は負荷が高く、満員電車の多い日本においては特に気をつけなければならない点だ。
業務調整の方法としては、以下を参考にされたい。
- 在宅勤務やハイブリッド勤務の導入
- フレキシブルな勤務時間
- 通勤時間の短縮
- その人ができる仕事や役割を探す時に、創造的かつ柔軟である事
- 作業負荷の軽減(身体的・精神的・認知的な面から)
- 勤務中ダウンした時に、ウェルビーイングルーム(休息できる部屋)が利用できる事
- 協力的な組織文化の中で働く事。
また、当事者から業務変更を提案するのもアリだ。
TUCによると、44%の人が申し出通りに業務を変更してもらえ、31%が一部のみの変更、まったく受け入れられなかったのは8%のみであった。
復職をするためのコツ
当事者たちの話を聞くと、復職をする際のベストプラティクスが浮かび上がってくるようだ。
「コミュニケーションを早めに取る」
「フレキシブルかつゆっくりと、段階的に職場復帰を行う」
「同僚や上司が継続的にサポートをする」
バッドノウハウとしては、以下の点が挙げられている。
「ミーティング不足」
「体調が悪化した時に、無理に仕事をして回復が遅れた」
欠勤にはいたっていないが、健康問題が理由で生産性が低下していしまう。いわゆるプレゼンティズムの問題が出てくる。*10
ここで当事者の生の声を引用したい。
「仕事は一進一退で、最初の頃は1時間やっては2日休んでいました。(仕事が)本っ当に遅かったんです。今は、もっともっと多くの事ができるようになり、生産性も上がっています。ですが、私はまだ私でしかありません。昨日は2時間滞在し、帰宅しました。それでおしまい。それが精一杯でした」
医療従事者
「個人的にも社会的にも、人々はプレッシャーがあるとうまく働く事ができません。できるだけ早く、しかもマックスに力を発揮しなければならないという、内なる能力主義がもたらすプレッシャーです。私たちは、ゆっくりと徐々に、必要な時には休む事を受け入れる必要があるのです」
産業保健従事者
なぜコロナ後遺症患者の就労をサポートするのか
コロナ後遺症当事者の就労サポートには、あらゆるメリットがある。
当事者にとっては仕事に復帰できれば経済的な不安が減る。日常に戻ることで落ち着く人もいるだろう。
企業にとっては、せっかくの人材を損失しなくてすむ。採用やトレーニングに比べればコストは低い。人事担当者も長期欠勤や離職についての穴埋めを考えなくてすむ。
政府にとってはなお良い。
これは経済の問題だからだ。労働者不足が叫ばれている昨今、働き盛りの世代を直撃している後遺症を放置する意味はない。復職の方法が手荒く、症状が悪化するようであれば、将来的な社会保障コストの負担増にもつながる。逆に、社会に参加できない時間が長くなるほど、復帰が困難になる点も見逃せない。いいあんばいで職場に復帰するため的確なサポートが求められる。
もっと深く考えると、コロナ後遺症患者への支援は慢性疾患や難病患者への支援にもつながる。共通する面が多いからだ。
これは、ニーズや対応の見直しをする良いきっかけになる。なにより、これからの日本は慢性疾患を抱える高齢者が働かなければいけない社会なのだから。
コロナ後遺症者のリワークを支援する事は、長期的・潜在的に考えても利益が大きい。公的機関もぜひ取り組んで欲しい。
IGLOOフレームワーク
「Working with long COVID」では、 IGLOO フレームワークに基づいて対応方法について検討をしている。
いや、IGLOOってなんだ。
IGLOOとはイヌイットが作るかまくらのような住居の事のようだ。
ja.wikipedia.org
しかし、みんなでかまくらを作ろうという話ではない。職場復帰や継続就労をサポートする枠組みで、精神障害を持つ方の職場復帰で用いられているようだ。*11
海外でもそんなに有名な支援ツールではないようだ。
IGLOOフレームワークにおいて「IGLOO」とは、利害関係者の頭文字を取った略語である。
IGLOO レベル | 本調査における定義 |
Individual | コロナ後遺症と診断された従業員および診断がすんでいない従業員。 |
Group | 当事者の同僚またはチームメンバー。 |
Line manager | 当事者をマネジメントする責任のあるラインマネージャー(課長・部長)。 |
Organisation | 組織のより大きな視点から(例:人事、リソース、仕事のやり方、労働衛生の提供)。 |
Outside | 医療機関や慈善団体など、社外で利用できる支援やサービス。 |
利害関係者別に要因を「バリア/問題」と「リソース/ファシリテーター」に分類する。そうすると対応方法が見えてくるようだ。
原文を読む方は、自分が関係しそうな箇所をかいつまむと参考になるかと思われる。
おわりに
結論としては「当事者の症状に合わせて柔軟に対応しろよ」という事にはなる。さらに詳しく知りたい方がいたら「Working with long COVID」を直接読むとよい。Google翻訳やDeepLを使えばおおまかな所は理解できるように思う。
まずはじっくりと症状の改善を待つ。そして段階的に職場に復帰していく。そうした環境が日本社会でも整備される事を強く願っている。
参考
CIPD. (2022) Working with long COVID: Research evidence to inform support. London: Chartered Institute of Personnel and Development.
https://www.cipd.co.uk/knowledge/fundamentals/relations/absence/long-covid-report
*1:「軽症で回復したはずだった」コロナ後遺症の深刻な実態 1年以上苦しみ、今なお治らない記者の記録 | 47NEWS
*2:コロナ後遺症に1年以上苦しむ記者の記録(続編) 「自分の体を取り戻せる日はいつ」 | 47NEWS
*3:https://twitter.com/k_hirahata/status/1501877055377801216
*4:Chartered Institute of Personnel and Development - Wikipedia
*5:NICE | The National Institute for Health and Care Excellence
*6:また、心筋炎・心膜炎・ME/CFS・POTS・線維筋痛症・逆流性食道炎等。特定の疾患に悩む人には別途対応が必要である
*7:About Us - Patient Led Research Collaborative for Long COVID
*8:Characterizing Long COVID in an International Cohort: 7 Months of Symptoms and Their Impact by Hannah E. Davis, Gina S. Assaf, Lisa McCorkell, Hannah Wei, Ryan J. Low, Yochai Re'em, Signe Redfield, Jared P. Austin, Athena Akrami :: SSRN
*9:Workers’ experiences of long Covid | TUC
*11:https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/02678373.2018.1438536